東日本大震災で甚大な被害を受けた地域として記憶に新しい気仙沼市、そして南三陸町。
あいにくの雨でしたので、主に海沿いを走って気仙沼市と南三陸町の現状をこの目で見てきました。
至る所で復興工事中
まず気仙沼市を走っていて気づいたことは、石巻市に比べはるかに多い工事中の形跡。
見渡す限り重機があり、このように工事中である場所がとっても多いです。
すれ違う車も様々なナンバーの工事関係車両(主に大型トラック)で、それは近隣の町だけではありません。
中には関東ナンバーで復興工事というような表記をしているトラックもありました。
これば僕らが全く知らなかった事で、震災から6年半経過した今も日本中から支援の手が届いているし今こうやって実際に行われている。
同じ日本人として全然知らなかったことに恥ずかしさを覚えたりもしました。
そしてナビとは全く道路の形が違う場所が何箇所もありました。
ナビは比較的最新のもので当然地図データも最新(確か6月版)のはず。
最後の更新から1ヶ月前後しか経っていないにも関わらず道の形がこうも違うところがあるのかと少し驚きましたが、それだけ復興に尽力されハイスピードで工事が進んでいるのでしょう。
道も新しい部分が非常に多かったです。
津波の記録
気仙沼市や南三陸町だけではなく、宮城県やその先の岩手県の沿岸部を走っているとこの過去の津波浸水区間という看板を頻繁に目にします。
気仙沼や南三陸の海沿いの道はアップダウンが非常に激しく、特にダウンの部分になると非常に多くこの看板を目にします。
そして驚くことに非常に海面から高い位置にこの看板が表示されていたりします。
「え!?こんな高い場所まで津波きたの!?」と驚きを隠せません。
復興の拠点!ハマーレ歌津
南三陸を走っていると、ふと真新しい施設が目に飛び込んできました。
何かわからないままとりあえず寄ってみると、ここはハマーレ歌津という施設。
後で調べてみると、ここは震災直後から復興ボランティアの皆さんの拠点になったりしたまさに南三陸復興の拠点でした。
ここには飲食店から電器屋さんまで数店舗が軒を連ね、周辺の流通を担っています。
そして僕はここにあったオブジェに目を奪われました。
南三陸から漂流し戻ってきたポスト
これは当時南三陸町にあったセブンイレブン宮城歌津店に設置されていたポストで、震災後行方不明になっていたポストです。
ところが震災から2年弱経過した2012年12月28日、直線距離として2,400km離れた沖縄県西表島に漂着しているのが発見されました。
幸いにもポストに残された手紙はなく、届かなかった手紙ななかったとのことですがポスト自体には長い漂流を物語るように多くの貝類が付着していたということです。
東日本大震災では宮城県・福島県で合わせて計253個のポストが流出したそうで、北海道でも発見例があるそうです。
それにしても南三陸町から最も遠い県である沖縄県に漂流したというのは中々感慨深いものがあります。
なおこのポストは沖縄県から宮城県に帰ってきて、このように震災の記憶として展示がされています。
まとめ
気仙沼市や南三陸町は被害が大きく関東でテレビを見ていた僕も宮城県の被害が大きい都市として認識していたので、是非立ち寄ってこの目で見たいと思っていた日でした。
正直震災から6年以上が経過し、かつ最近は九州で地震や大雨による災害が続いていたので少しだけ意識が薄れていたのも事実です。
だからこそしっかり今を見ておきたい、そう思って立ち寄って良かったと思います。
特にハマーレ歌津で見たポストには心奪われ、色々な考えが頭を巡りました。
おそらく今後も震災の記憶として展示されているであろうこのポストは、ぜひ立ち寄った際に見て頂きたいともいます。
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